教育・福祉活動

【カンボジア】

 

●24時間無料救急病院(シアヌーク病院)を建設

 カンボジアはアジアの最貧国であり、 20年近い内戦によって国土は荒廃し、国民の平均寿命は53歳。 知識階級は虐殺され、現在、医師の数は人口 30,000人当たりわずか1人です。(日本は500人に1人)

この現状に心を痛め、半田氏が代表を務める団体では、1996年12月、カンボジアの首都プノンペンに、 24間無料救急病院シアヌーク病院 を建設しました。カンボジア政府から無料で提供された土地に、丹下健三氏無料設計による二階建、 40 ベッド、緊急集中治療設備を擁した近代的な 24 時間体制の救急無料病院が完成したのです。この病院の運営は、 半田氏の団体が毎年2億円の運営費を拠出し、 半田氏の団体 と米国医療法人「ホープ」が、同等のパートナーとして協力して行なっています。
カンボジア 24間無料救急病院シアヌーク病院
シアヌーク病院

 同病院では、 1996年12月から2012年12月までに、117万人を越える患者が訪れ、全て無料で診療を行なってきました。(1996年12月〜2012年6月までに、33万3173人の救急医療、21万7430人の医療外来患者訪問、33万7680人の医療特別クリニック、16万4411人のCRC患者訪問、7万3941人の外科診療、3万4961人の移動クリニック&遠隔治療。さらに、9567人の内科入院、8119人の外科入院、1万4350件の手術&処置を行ってきました)

 病院には、約400人のカンボジア人スタッフと、二十数名の欧米人スタッフらが勤務しています。また、カンボジアに250あるNGO のうち、シアヌーク病院は規模も最大であり、グローバルファンドにおける 250のNGOの代表にもなっています。

カンボジア 24間無料救急病院シアヌーク病院
カンボジア 24間無料救急病院シアヌーク病院
カンボジア 24間無料救急病院シアヌーク病院

 

●コマンドール勲章を授与

半田氏の団体の寄付により、 2003 年1月に第二病棟が完成した時、シアヌーク国王が決心され、 半田氏 は団体の代表として、民間で初めてコマンドール勲章を授与されました。これは、カンボジア王国の最高位の国家勲章の一つであり、外国人に与える最高の勲章だそうです。 

コマンドール勲章を授与 当時のシアヌーク国王と
当時のシアヌーク国王と
コマンドール勲章を授与
コマンドール勲章の証書
 コマンドール勲章の証書

 この第二病棟は4階建てのビルであり、主に現地の医師や看護婦、レントゲン技師などを育成し、国内の他の主要医療機関に派遣したり、教育研修をするものです。

 そして 2004年11月1日には、同団体の寄付により、第三病棟が完成しました。カンボジアNo.1の医療レベルと、医療の総合教育を進めるセンターとして、エイズやマラリアの撲滅や治療を進め、活発な国際会議を主催して啓蒙する活動にますます貢献できるようになったのです。

第二病棟
 第二病棟
第三病棟
第三病棟 

 

 

●クメールルージュの犠牲者への救済により、モニサラポン・テポドン勲章を授与

 カンボジアでは、半田氏の団体は、クメールルージュ(ポルポト派)に、夫や子供を虐殺された犠牲者の遺族3万軒に、義捐金を渡すセレモニーも行っています。

 カンボジアでは、 1970 年代後半、クメールルージュが、 300 万人もの国民を虐殺したと言われています。国民の半数にあたります。そして、後に残された未亡人や子供たちは、心のトラウマを抱えながら、今なお、カンボジアで最貧生活を送っているのです。

 多くの人は、元中産階級だった婦人達で、ある日突然市内に爆撃があるとだまされ、市中を出たまま、帰れなくなったのです。また、虐殺のキリングフィールドを目撃し、逃げのびた人達ばかりです。その中の約2割の未亡人は、身寄りもなく、お金もないので、お寺に住んで死ぬ準備をしているのです。小乗仏教とヒンズー教が結びついた仏教なので、人々は、僧侶に毎日施しの食事を持って来ます。それを、僧侶が食べた後、彼女たちがその食べ残しを食べるのです。現金の収入は全くありません。雨風をしのぐ場所と、食べ残しの食べ物があるだけでも、彼女らには有り難いことなのです。この人々に、一般人の半年分の収入になるお金( 100 ドル=1万 2000 円)とお米を、半田氏が支援団体を代表して、手渡しで授与するのです。

 しかし、お金はあくまでシンボルです。最も大切なことは、お金を通して伝えるメッセージであり、一人一人の虐殺の体験を残すことです。候補者を選ぶ時に、全員にインタビューし、全員の体験を記録しているのです。

 この主旨で、最初に半田氏が3千万円寄付し、半田氏の団体が1億円寄付しました。これで、当初は1万世帯の遺族を救済する予定でした。しかし、2007年1月、半田氏の決断により、基金の額をもう 200 万ドル(2億4000万円)増やし、合計330万ドル(3億9600万円)にして、1万世帯の救済から3万世帯の救済に、規模を大きくしたのです。

 これまで、すでに4回の授与式が行われています。( 2007年5月現在)

 犠牲者の方々は、毎回、「今まで、こんなことをしてくれた人は、誰もいなかった。本当に嬉しい」と号泣して、半田氏から手渡しでお金と米を受け取っています。そして、半田氏はスピーチで、毎回、犠牲者の皆さんにこう言っているのです。

 「ポルポトを恨むことなく、自分の運命を呪うことなく、全てを許しましょう。そうすれば、自分自身が救われます。この半年分の収入とお米で全てを償うことは不可能です。しかし、みなさん、全てを許して下さい。そうすれば、きっと不幸と不運に見舞われた自分の過去が洗われ、これから生きる勇気と元気が出てくるはずです。そして、皆さん、必ず幸せな余生を送って下さい!」

 そして、一人ひとりにお金を渡しながら、クメール語で、「アーユー、ウエーンナホール。コンプロンプレーン。(長生きして下さい。元気出してね!)」と声をかけていくのです。その言葉を聞いて、また号泣する人が何人もいます。

 この模様は、毎回テレビのニュースで放映され、国民の全てが感動し、勇気づけられているのです。

 2006年10月、このクメールルージュの犠牲者への救済により、半田氏は団体を代表して、カンボジア政府より福祉分野での国家最高勲章、モニサラポン・テポドン勲章を授与されました。

クメールルージュの犠牲者に対する救済で、 団体を代表して、福祉分野での国家最高勲章も頂きました。
クメールルージュの犠牲者に対する救済で、 団体を代表して、福祉分野での国家最高勲章も頂きました。

 

●カンボジアに小学校を10校建設

 カンボジアでは、つい数年前までクメールルージュ(ポルポト派)が国の一部を占拠して、武力による圧政を行っていました。ポル・ポトが政権を握った 76 年に紙幣は廃止され、市場は閉鎖。外国語はもちろん、音楽・歌・詩も禁止、恋愛禁止。仏教も禁止され、寺院や仏像は破壊され、その破壊的な統治は、政権を追われた後も、地方に場を移して十数年以上続き、その間なんと、当時の全人口の約半分にあたる 300 万人以上の国民が殺されたのです。

 特に、「眼鏡をかけている人」すなわち知識階級の人間は、ことごとく命を奪われました。その結果、カンボジアの学校や教育制度は完全に破壊され、現在、カンボジアには学校のない村が 3000 以上もあり、子供たちは読み書きさえ習うことができません。

 また学校があるところでも、そのほとんどが野外授業のため、雨風や照りつける太陽にさらされています。こうした現状を聞き、 半田氏が代表を務める団体 では、カンボジアの最貧地域に「屋根のある小学校」を 10 校寄贈しました。そして、今も毎年2校ずつ建設しています。

小学校〔背後の建物)の開校式に、多くの村人が集まりました。
小学校〔背後の建物)の開校式に、多くの村人が集まりました。
カンボジアに小学校を10校建設

 

●フンセン小学校プロジェクト

 さらに、 2005年からは「フンセン小学校」プロジェクトも始まりました。

 貧しい地域の子供たちのために、小学校の校舎を 20 校建設したいというフンセン首相のご希望を、半田氏が受け、半田氏が代表を務める団体が支援しているものです。

2007 年5月現在、すでに 11校が完成し、さっそく授業が開始されています。近くに小学校が全くない地域ばかりなので、大変喜ばれ、感謝されているのです。

 残りの9校も現在建設中で、 2007年中に全て完成する予定です。そして、全 20 校が完成した暁には、カンボジア政府主催の祝賀セレモニーが行われる予定です。

 なお、これらの校舎には、皆のあたたかい支援によって建設されたことが明記されます。

 

●「未来の光 孤児院」を支援

 この他、 同団体 では、プノンペン郊外にある「未来の光孤児院」( Future Light Orphanage of Worldmate )において、約 300 名の子供たちのための支援を継続的に行っています。

半田氏が代表をつとめる 同団体および 株式会社菱研では、孤児院内に寮やコンピューターハウスを建設し、寄贈。その他、半田氏や菱研会員の中の希望者が子供たちの里親となって、生活費と学費を毎月仕送りしています。そして、それがもう 11年も続いているのです。

 この孤児院では、単に孤児たちを預かる施設としてだけでなく、やがて大きくなって施設を出ても、高い文化レベルで自活して、ひいては孤児たちがカンボジア再建に尽力する優れた人材になれるよう、半田氏の支援で英語の授業とコンピュータの訓練なども行われています。無論、その講師達の給与も、半田氏の団体が毎月負担しているのです。

 これらの活動が評価され、その後、「未来の光孤児院」の設立者であるヌオン・パリー院長は、 1994 年にフランスのフィガロ賞を、 1998年にはアジアのノーベル賞と言われる、フィリピンのラモン・マグサイサイ賞を受賞しました。 

 今ではこの孤児院での教育は、一般の学校からも羨ましがられるレベルに達しています。そして、半田氏もこの孤児院の会長を務め、益々支援の輪を広めているのです。

孤児達と一緒に
孤児達と一緒に
コンピューターハウスにて
コンピューターハウスにて

 

●身体障害とエイズの孤児のための基金

 カンボジア全土に孤児院は 170 カ所あり、およそ1万5千人ぐらいの孤児がいるそうです。日本は人口1億3千万人で、孤児院にはおよそ2万5千人います。カンボジアは現在人口が 1400万人で、孤児が1万5千人いるのです。つまり、日本の約5倍の孤児が居るわけです。(なお、日本の孤児達のうち 3 分の 1 の1万3千人に、毎年半田氏の団体では、クリスマスプレゼントを贈っています。これについては、 児童福祉 の項をご参照下さい) 

 半田氏はカンボジアの厚生福祉省の大臣に、「現在カンボジアの孤児にとって、何が最も切実な問題なのですか」と尋ねました。すると、大臣はこうお答えになったそうです。

「それは、孤児達の約 10 %強が、身体障害とエイズにかかっていることです。これをやろうとしたNGOもあったのですが、手を引いてしまい、現在最も切実に困っていることです。エイズにかかっているかどうかを調べるための、血液検査の資金もないのです。」

 これを聞いた半田氏の提案により、「身体障害とエイズの孤児のための基金」を、 100 万ドル(1億2千万円)で作り、カンボジア政府と半田氏の団体が協力して救済する、新しいプロジェクトがスタートしたのです。 
厚生福祉大臣と話す半田氏
厚生福祉大臣と話す半田氏

●カンボジアのニューリーダー育成

 半田氏は、カンボジアの総合私立大学、カンボジア大学の初代総長も務めています。

カンボジア大学の校舎の入り口
カンボジア大学の校舎の入り口
カンボジア大学開校式。フンセン首相が臨席しました。
カンボジア大学開校式。フンセン首相が臨席しました。

 カンボジアには、これまで6つの国立大学と若干の私立大学はありましたが、政治・文化・経済系の総合大学はありませんでした。そこで、同国の次期世代のリーダー達を育成するために、「カンボジアのハーバード大学」をめざし、 2003 年に設立されたのがカンボジア大学です。同大学は、国際レベルの MA や Ph.D を取得できるカンボジア唯一の大学でもあります。

 この大学の設立に際し、半田氏は初代総長の就任を依頼されました。カンボジアの貧困者のために、 11 年以上もの間、病院や学校を造り、また、孤児院などを運営してきた実績が評価されての依頼でした。そして、設立2年目にあたる 2004 年には、生徒数が2千名に増え、大学入試の国家統一テストの上位 20 名が、総長支援の奨学生として入学しています。そして、設立4年目になる 2006 年には、政府の教育機関により、カンボジア No. 1の大学教育レベルの評価を得ました。

 それから 2007 年より、フンセン首相の提案によって、「サムデック・フンセン・ハンダ・ナショナル・スカラーシップ」が始まりました。これは、カンボジアの全ての高校から最も成績優秀な生徒を選んで、奨学生としてカンボジア大学に入学許可し、4年間の授業料を全て負担するものです。合計 500 名が、奨学生としてカンボジア大学で学ぶことができるのです。

 また、半田氏は、 ASEAN が認める国際機関である国立カンボジア平和協力研究所( CICP )の、副総裁にも任じています( 2002 年就任)。

 

そして、半田氏が代表を務める団体では、ここにカンボジア初の「日本文化・経営研究センター」を設立しました。ところで、この研究所の総裁はシアヌーク元国王の弟で、元外相、当時副首相のシルブッド王子であり、現在、 ASEAN のニューリーダーをシルブッド王子と共に、カンボジア大学総長及び CICP の副総裁として、多くの国際会議を開き、幅広く育成しているのです。  

 

CICPの総裁で当時副首相のシルブッド王子と共に。CICPにてスピーチする半田氏。
 CICPの総裁で当時副首相のシルブッド王子と共に。CICPにてスピーチする半田氏。

 

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